弓道教室副読本
昭和40年頃に大牟田弓道連盟が開催した弓道教室の資料です。何も知らない初心者の方には随分難しいことも書いてありますし、古い資料ですので現在の弓道と幾分異なることもあるかと思いますが、参考になる部分も多くあります。また「参考」部分の語句は私も知らない言葉が多くおもしろいと思いましたので、そのまま掲載します。
第1章 諸論
諸氏もご承知のとおり、弓は我国に於ては太古の時代より武器として狩猟の具として年とともに進歩して来ましたが、徳川・300年太平が続いたので、自然と弓も名義と形だけが残り、今の世に伝わって来たと申して良いと思います。 現在では何人もスポーツとして再認識されて来た事を知っております。 この弓道は、剣道・柔道と異なって、初めから痛いとか苦しいとかということがなく誰でも真似のなし易いものであり、全身の筋肉の静的緊張と努力を要する運動であり、正しき姿勢と正確さを要求し、自己統制を求め、個人でも楽しめる疲労の少ない、知的な教養を高めることのできる運動であります。
第2章
第1節 弓を学ぶについての心得
先ず弓を射てみようと志す人は第一に心を正しくすることです。心が正しくなかったら如何なる順序をふもうが、如何に立派な法則に依ろうが到底思うように射られるものではありません。されば心を正しくすることが第一肝要で、それから一定の順序法則に拠って稽古するときは矢数のかかるに従って追々と熟達してきます。
もっとも弓道は心を正しくすることが肝要ですが、さればとて規則に従って習わねば変な恰好になり易いものです。すなわち、我流でやり通そうとして変な形をして弓を射ては、人に笑われるばかりです。弓を習いたいと思う人は、弓を引いてる人の姿に魅せられ、または的に当ってる矢の壮快さに惚れ、弓を握ったら誰でもそんなに簡単にできそうだと思います。ところが短時日の稽古ではそうは問屋がおろしてくれません。これを家屋の建築に譬えれば、未だ土台も据らぬ内にいきなり柱を立てたり、屋根を葺くという風なのと同様に外形のみの目にふれる所だけを真似しようとするのと同じ考えです。
弓は何でも数を沢山に射て人の真似はせねばなりませんが、正しい順序法則によらねば労する割合に効果の少ないものです。
正しい順序法則に依って修練することなく、一刻も早く的に向って当てたいと思う人程かえって的に当てる率が少なく、而も人に笑われるものです。そのために生じた悪い癖はなかなかなおらないものでず。
第2節 弓道体操
弓の弦に矢をつがえて発射する迄には一定の順序があります。その順序を会得するために作られたのが弓道体操です。
先ず両足を左右に両踵が自分の肩幅たけの広さに足先きを逆八の字に開いて立ちます。
号令「1」
両足を斜前方に約45度差出します(両肘はゆるく締めます。)
号令「2」
首を左へ一杯に回し顎が左肩にくるように正しく向きます。
号令「3」
両肘を静かに上にあげ両拳が45度の角度にします。
号令「4」
左腕を静かに左前へ回し、同時に右肘をほとんど直角に曲げ右拳が額の生えぎわより約10センチの所まで持って行きます。左腕は45度のまま伸ばし左右の拳は肩の面に平行にしかも地面にも平行して居らねばなりません。
号令「5」
静かに左拳を斜下方に下ろし同時に右肘を曲け両拳を口の高さ迄引分けます。
号令「6」
勢いよく両拳を左右に開き胸部を開いて大の字になります。
号令「7」
同時に両肘をまげ、両拳を腰にとります。
号令「8」
左向いてる顔を正面に復します。
以上で終わりますが、肝要な事は初めから終りまで腰をきめて、フラフラしない事です。
これが射の基本となる順序です。之を覚えたら自転車のチュープを手に巻いてやれば「号令6」の離れの気分がよく判ります。
第3節 素引き
以上の弓道体操で弓射の順序を覚えたら次に素引に移ります。素引とは、矢をかけずカケのみにて弓を引くのであります。即ち、左手に弓を握り右手にカケをはめて矢を弦にかけずに弓道体操をやってみます。この素引が充分にできるようになってから始めて巻藁矢をかけて巻藁に向います。初めの中は思う方向に矢が飛びませんので必す先輩か先生の指示に従ってやらないと危険てす。矢をかけて引くのと素引の時と変らないように素引は充分に稽古すべきです。
第4節 巻藁
巻藁では矢を放つことを稽古します。 この巻藁に向って矢を放つにしても何所を如何にして射ようかということを心に定め、其の所を覚えて、これまで習った形に従って矢を放つのてす。厳にして千本位かけると矢を放つ形の大体の虚が判ります。それから始めて的に向うのが順序です。
第5節 的
素引や巻藁で稽古するのは的を射るための基礎を作ることです。基本通りに的に向って矢を放つことを覚えるべきです。巻藁の時は目標がすぐ目の前にあるので割合によく矢を放すことができるが、28米も前方に僅か直径36センチの的に当て上うと矢を放つと必ず的に気をとられて射の基本が乱れてかえって当らないものてす。
ここに弓道の難しさがあります。初心の中は基本を忠実に守って行射をするという心掛けが大切です。それが当りを得る最善の方法です。
第3章 射術略説
射術について昔から種々改良されてきましたが、就中「日置弾正政次」の定めた法則が今日迄残って広く行なわれており、その法則や順序を説きます。
この方は姿勢の規矩を次の順序で定めました。
1.足踏み 2.胴造り 3.弓構え 4.打起し 5.引取り(現今引分けという) 6.会 7.離れ の7道です。現在では 8.残身(心)を入れて八節と申しております。この各節に就いては後で説明します。
八節は姿勢のきまり即ち外形上の法則ですが、精神上の働きについて定めた規定に「五味」というのがあります。
1.目付の味 2.引込みの味 3.抱えの味 4.離れの味 5.見込みの味 の五つです。
弓を学ぶものは初歩の中より精神を込めてすることが必要ですから、この五味を五法といって之を鍛練することが肝要であります。先ず7道(現在の八節)から順に申し述べます。
第1節 足踏み
足踏みとは目的物に対して弓を引くのに体の動揺しないように足を開いて安定するためにする動作で、的と左足の爪先と右の爪先を一直線上になるように開きます。
足の恰好は扇を8分程開いたようにします。大体に放て自分の肩幅の広さに両踵の広きを取れば一番安定した足踏みになります。力の入れ所は両足の裏を以てしかと床に密着するようにふみつけます。
床から離れぬような心持にて力を入れれば左右の膝は伸びて張れるようになります。
そこで、よしんば頭をつかんて引上げられても其の足踏みのまま引上げられるようにし、其の姿勢のくずれぬようにするのが足踏みの規則です。そうすれば膝の折れ際がビンと張るようになると自然と胴も張られてきます。
「参 考」
(1)蜘蛛の規矩 (2)扇の規矩 (3)闇夜の規矩
第2節 胴造り
足踏みが定まったら胴造りをします。即ち、両足の中央に下腹が落ちつくようにします。そのようにして臍の穴が両足の真中を睨むという具合にすれば良いのです。そして、両尻を少し反り出すようにすれば独りでに胸出でて左右の肩も落ちてきます。身体は左へも右へも傾かず、屈せず、仰向かす、真直な姿勢をとるのです。
「参 考」
(1)大日の規矩 (2)真の鞍の規矩 (3)左肩の妻肩 上肩地紙に重ねよの口伝
第3節 弓構え
弓構えは足踏み、胴造りという動作に次いでする弓を射るについてその弓の構え方です。この中には「取かけ」「手のうち」「物見」の3つ動作を含んでいます。
「取かけ」では右手で矢の番えてある弦を挟み保ち、左手で弓の握りを弓の力がそとによく働かせるように握り、(手の内)次に顎を正しく的に向け正視する(物見を定める)のです。
「参 考」
(1)弓懐 (2)三つの規矩 (3)比人双の比の位
第4節 打起し
打起しには正面打起しと斜面打起しの二つの方法があります。
1.正面打起しは弓構えの位置からそのまま静かに両拳を同じ高さ(凡そ45度)に打起す。
2.斜面打起しは弓を左斜に構えてこれを斜前方に打起す。
上の何れにしても矢を射るという実際の仕事にかかるのがこの打起しで今までの弓構えまではそのための予備動作に過ぎません。即ち、「足踏み」から「弓構え」までを過去身という程です。これから、離れるまでを「現在身」残身を「未来身」といいます。
「参 考」
(1)会の弦道 (2)剛の弓懐 (3)猿臀の射 (4)比人双の人の位
第5節 引分け
打起した弓を左右に引き分ける動作です。
射を行なう場合弓を押し、弦を引いて弓を左右にひとしく開くのです。3つの方法があります。
(1)正面に打起し、途中止めずにスラスラト引き分ける。
(2)正面に打起して、肘力(大三)をとり引き分ける。
(3)斜面に打起して引き分ける。
肘力では形はとまっているが、力の働きを中断してはいけません。 この何れの引分けの場合でも両拳に高低なく、矢は的の方を向け水準を保ちつつすらすらと移動せねばなりません。そして、「引分け」は射の中心となるものであるから整然と行なわれなくてはなりません。次にくる「会」も「離れ」も「引分け」に左右されることが多いのです。
「参 考」
(1)鳥兎の梯 (2)押大目引け三分の一 (3)真、行、草
第6節 会
会は「会者定離」という仏教語から転用せられたといわれるように、会の次にはすぐ「離れ」が来ます。「会」は形の上では「引分け」の終点のようにみえるが、射手の心理からいえばむしろ無限の「引分け」です。僅かな時間の「会」の内包するものは、全射の量を堆積しており、正に弓射の極致であります。
この会が完成されたとき「離れ」が生じます。即ち「会者定離」です。だから、「会」には「延び合い」という一項を加えることもあります。間断なき天地左右への伸張をいうのです。 したがって、会は不動心の連続であります。
第7節 離れ
「会」の結果に来るものが「離れ」です。「離れ」は発射です。即ち、弦を矢が離れるときをいいます。「離れ」は自然の離れでなくてはなりません。「離す」のでなく、離されるのでなく、自然に離れたものが最も良い離れです。これを例えていえば雨露の落つるが如く機が熟して自然に離れるのが良いのです。即ち、人工的であってはいけないのです。
「参 考」
(l)四部の離れ (2)おうむの離れ (3) 雨露利の離れ
第8節 残身(心)
離れに依って射は一応完成したが、さて、残されたものがあります。形でいえば残身、精神でいえば「残心」です。この残されたものは離れの結果の連続動作から体は天地四方へ伸張のまま、眼は矢所に注ぎます。一貫した射が完成をなした時は、残心も自然立派に残るが、失敗したときは残心も立派にならないのは自然であり、残心の良・悪が射全体の良否の判別できる材料ともなるのです。
総 括
以上諸君は弓を引くことを覚えたことになります。今まで各八節に分けて述べましたが足踏みより残身にいたるまでは一貫した動作で別々に動作すべきものではありません。
我国の弓道の目的はただ単に的に当てる競技のみを目的とするスポーツではなく、心身の修養、自己完成の道といわれております。弓を引くには弓を引く「ルール」があり、エチケットを守らねばなりません。昔から「礼」は小笠原「技」は日置といわれた時代もありましたが、時代の進展と世相の推移と共に合流れの道をたどって現在は礼を失した競技は弓道でなく、技術を離れた礼は射ではなく即ち「技と礼」が共に具って一体不離の射となってこそ真の弓道と考えられるようになってきています。
柔剣道と異なって弓道は相手がありません。強いて相手といえば的であります。この的は一定の位置で動かない木と紙で作ったものです。矢が同じところに当らないのは的が動いたためではなく、自分自信に何処か悪い所があったのだと覚る事ができます。初めの中はその悪い点が自分ではなかなかわからないものです。だから初心の中はよく反省すると共に先生や先輩によく射を診てもらって、直してもらわねばなりません。
この自己反省と修練が何度も否何千度も重なって始めて諸君の弓道が進歩し上達してくるのです。研究は必要ですが独学はなかなか進歩しません。先生や先輩の指導のもとに真面目にやることが上達の秘訣です。
以上